神の教え

梅雨時は、体調が思わしくない。
持病の性だろうか、頚椎を損傷しているので、首が痛い。
むち打ち症のような感じだ。
以前にも書いたが、私は、犬たちを救う事で助けられています。
毎日、雨で散歩にも行けないが、2頭ずつ、ゆっくりと出している。私自身のリハビリです。
ボランティアさんも少ないが、何とか3~5人くらいでまかなっています。
電話相談は、相変わらず多い。
先日など、11年飼っていた犬を引越しのため、飼えなくなったので引き取って貰えないか?
とか、仔犬が産まれてしまったので何とか引き受けてくれないか?とか、
結婚するので犬を引き取って欲しい。とか。
こういう人達は、動物達を何と思っているのだろう・・・・・・。
家族とは思っていないんだろうね。 悲しい事です。
普通はさ、寝食を共にした可愛い犬たちを、人間の身勝手で離したり捨てたりしている事自体が考えれないんだがね。
それらを平気で出来る事が信じられないね。
「赤ちゃんポスト」がある時代だから、そんな事もできるのかね。
そういう人は、必ず、自分自身にも降り返ってくると思うね。
犬達に愛を与える事は、自分にも愛を与えられる事が判っていない。
最近、一冊の本を手にした。
支援者からの贈り物だ。
「心の扉を開く」 アイリーン・キャディ著
この著者は、北スコットランドの「聖なる楽園」フィンドホーンの創設者の一人である。
1917年、エジプトのアレキサンドリア生まれ。今年90歳になる。
内なる神からのガイダンスを受け取り、それをもとにフィンドホーンを建設した。愛に満ちたガイダンスは、訪れる人々の心をやすらげ、本当に大切なことは、「一人ひとりが心の中の声を実行することだ」と気づかせてくれる。
この本は、20カ国語以上に翻訳されているベストセラーである。
この本を開いてから一日が始まる。
マザーテレサのような内容の言葉、聖書のような心やすまる本だ。
私には、いつも「与えなさい」という言葉が贈られてくる。
人のため、世のため、犬のために尽くしなさい。 なのだろう。
素直な気持ちで、その言葉を受け止めている。
心が素直に落ち着いてくるから不思議だ。
世の中の邪推、誹謗中傷などの言葉、など、以前より意に介さなくなった。
困難な事柄が起きるたびに、この本を開いて教えを頂いている。
心が静かでいると、物事が静かに見れる。
人にも優しく、犬達にも優しく接する事ができる。
先が、将来が、見えてくる。 そうすれば楽しく、毎日が暮らせるんだ。
今、支援者やスタッフと相談している事がある。
不幸にも、罪を犯してしまった少年たちの受け入れである。
親がいない、天涯孤独、一人ぼっちで寂しいからとか、弱い気持ちで過ごしてきて、悪に身を染め罪を犯した者達がいる。少年院や鑑別所で更生しようとしたが、再犯を繰り返す者もいる。
更生期間中に保護司の元に訪れて保護観察を受けている者もいる。
まともに働きたいが、受け入れ先が少ないという。
事情を判って受け入れてくれる所が少ないのだそうだ。
支援者の保護司の方が、アメリカの刑務所の例や少年院の話などをしておられた。
日本では、まだ、そういう場所での更生プログラムが皆無であるらしい。
過去に罪を犯し、社会のつま弾き者としての烙印を押されて、更生できるチャンスを与えられていない少年たちを、私は受け入れようと考えています。
人には心を開かないかもしれないが、犬には、物言わぬ犬には心を開く。かもしれない。
外国では実践しています。
ある程度の成果が出ています。
不幸な環境下に居た犬だからこそ、その者たちは感じ合える事があるのかもしれないのです。
誰かがやらなければ、何も始まらない。
以前から考えていたのが、今になって現実味を帯びてきたのです。
保護司のアドバイスを受けて、検討をしています。
昔、私もやんちゃだった。ワルと言われた時代もあった。
だから、彼等の気持ちも判るのです。
大人が手を差し伸べて、普通の人間に戻してあげれたらいいな。って。
ワルがきでも、犬を触っているときの目が優しい。 素直になれる瞬間なのだ。
人間、元々のワルなんていないんだから・・・・・。 育った環境が悪かっただけ。
そう、誰にでも過ちはある。改めるか、そうしないか。である。
これも「神の教え」です。
どこまでできるかわからんが、与える事から始めようと思う。

